夕張(2)
7月12日(日)曇り、夕張の石炭の歴史村ファミリーキャンプ場での朝を迎えた。生憎の曇り空だったが大きく荒れることもなく天気は何とか持ってくれたようだ。昨日マウントレースイ前のセイコーマートで買ったパンを朝食に食べた後、テントを片付けて出発し、夕張市内の幹線道路から外れた脇道へ。なぜそんな場所に来たかと言うと、この辺りは夕張キネマ街道という昭和時代のレトロな映画看板が52枚も掛けられている場所だからだ。夕張は炭鉱とメロンが有名だが、映画の街としても有名なのだ。
さて、これで予定していた夕張観光を終えたので札幌の自宅へと帰還することになる。帰路の話を書いても道道3号を西に走り、北広島駅前でタイヤキを食べて帰宅したというところで終了なので、ここからは昨日の夕張散策の話を時間を遡って書いていくことにする。
キャンプ場にてテントを設営した後、まずは自転車をテントの側に置いて、徒歩で石炭の歴史村へと出掛けた。徒歩だとキャンプ場から石炭の歴史村へ抜ける坂や階段のある遊歩道を進むことができるが、自転車で行く場合、一旦道道38号まで出て正面ゲートから入場する必要があり、ちょっとばかり遠回りになるのが自転車を置いていった理由である。
石炭の歴史村の施設内には"ゆうばり化石館"、"炭鉱生活館"、"石炭博物館"といった建物があり、特に"石炭博物館"は史蹟夕張鉱を利用した採炭現場を実際に見ることができることで有名だ。
ゆうばり化石館、炭鉱生活館と回った後、いよいよ石炭博物館へ入ることにした。
順路に従い進むと、まずは夕張市の地理と歴史に関する展示が並んでいた。
順路に従い通路を進む。
ここからは物品展示。炭鉱内で使用されていた各種の機械、炭鉱内の様子を模型にしたもの、石炭ストーブなどは私の小学生時代に実際に使用していたが、こうして見るとかなり懐かしいものだった。
ここからはこの石炭博物館の最大の目玉"史蹟夕張鉱"の中へ移動して、実際の炭鉱内を直に感じる体験ゾーンになる。エレベータに乗り、地下に降り立つと坑内はひんやりとした気温でかなりの臨場感、というか実物なのだから当然か。
中は暗いからと渡されたキャップライトを点灯し坑内を進む。これは想像した以上に凄い体験ゾーンだ。
この辺りは、人物模型を配して実際の炭鉱内の様子や機器がどのように使われたかをわかりやすく展示していた。
この辺は再び機器の展示ブースとなっていた。
順路に従い、更なる深部へ進む。ガッガッガ(ドラクエの階段を下りる音)
ここまでフラッシュを焚いての写真を掲載していたので、周囲は明るく写っていてあまり雰囲気が出ていなかったと思ったので、ここからはフラッシュをOFFにした写真もいくつか混ぜていく。上の写真と見比べてみると一目瞭然だが炭鉱内は実はかなり真っ暗であり、フラッシュを焚かない実際の雰囲気はこんなにも暗いのである。
坑内の順路に従い進んでいき、最終的に徒歩で地上に出てきた。エレベータでかなり深い場所まで下りて行ったと思ったのだが、それ程地下まで行っていなかったのかもしれない。キャップライト一体型のヘルメットを所定の場所に返却した。
この石炭博物館内の史蹟夕張鉱は予想していたものよりもずっと面白いもので、今回来ることにしてホントに良かったと思った。札幌やその近郊の市町村に住んでいて、私のようにこの夕張に来たことがない人もいるだろうが、この石炭博物館は是非一度見ておいたほうが良いと思う。これほどの完成度の高い大掛かりな施設が私一人の客しか迎え入れていなかったという現実を見て、愕然としたのと同時にかなり寂しい気持ちになったものだ。実際に来場すると、きっと来て良かったと思う筈なのだ。
石炭の歴史村からキャンプ場へ行く遊歩道を通り、キャンプ場の自分のテントのところまで戻ってきた。
そして、すぐに風呂道具をリュック代わりのスタッフバッグに詰めて、自転車に跨り夕張駅前のホテルマウントレースイに併設のレースイの湯へ行くことにした。
写真はホテルマウントレースイ前からの撮影で、奥にマウントレースイスキー場の斜面が写っている。
そして、ホテルマウントレースイをバックにした写真を撮影。
今回の記事では沢山の写真を掲示したが、背景に人が写っている写真は皆無で、財政破綻した市という寂しい片鱗を覗かせているのが伝わったことだろう。キャンプ場は悪くなかった、石炭の歴史村は十分客を呼べる施設だろう、レースイの湯はそれ程大きな温泉ではなかったが悪くなかった、走り応えのある峠があるので自転車乗りを多く見かけたし、夕張メロンは有名だ。何度もくどいと思うかもしれないが、この記事を読んだ人で、まだ夕張に行ったことがない人がいたら是非一度行ってみて欲しいと再度お願いしたい。札幌に住む私も頑張れば自転車で日帰りだって出来る距離なので、是非また来ようと思う。とにかく皆で夕張市を盛り立てていこう。
最後に今回の走行マップを掲載する。
より大きな地図で 札幌~岩見沢~夕張~北広島~札幌 を表示
さて、これで予定していた夕張観光を終えたので札幌の自宅へと帰還することになる。帰路の話を書いても道道3号を西に走り、北広島駅前でタイヤキを食べて帰宅したというところで終了なので、ここからは昨日の夕張散策の話を時間を遡って書いていくことにする。
キャンプ場にてテントを設営した後、まずは自転車をテントの側に置いて、徒歩で石炭の歴史村へと出掛けた。徒歩だとキャンプ場から石炭の歴史村へ抜ける坂や階段のある遊歩道を進むことができるが、自転車で行く場合、一旦道道38号まで出て正面ゲートから入場する必要があり、ちょっとばかり遠回りになるのが自転車を置いていった理由である。
石炭の歴史村の施設内には"ゆうばり化石館"、"炭鉱生活館"、"石炭博物館"といった建物があり、特に"石炭博物館"は史蹟夕張鉱を利用した採炭現場を実際に見ることができることで有名だ。
ゆうばり化石館、炭鉱生活館と回った後、いよいよ石炭博物館へ入ることにした。
順路に従い進むと、まずは夕張市の地理と歴史に関する展示が並んでいた。
順路に従い通路を進む。
ここからは物品展示。炭鉱内で使用されていた各種の機械、炭鉱内の様子を模型にしたもの、石炭ストーブなどは私の小学生時代に実際に使用していたが、こうして見るとかなり懐かしいものだった。
ここからはこの石炭博物館の最大の目玉"史蹟夕張鉱"の中へ移動して、実際の炭鉱内を直に感じる体験ゾーンになる。エレベータに乗り、地下に降り立つと坑内はひんやりとした気温でかなりの臨場感、というか実物なのだから当然か。
中は暗いからと渡されたキャップライトを点灯し坑内を進む。これは想像した以上に凄い体験ゾーンだ。
この辺りは、人物模型を配して実際の炭鉱内の様子や機器がどのように使われたかをわかりやすく展示していた。
この辺は再び機器の展示ブースとなっていた。
順路に従い、更なる深部へ進む。ガッガッガ(ドラクエの階段を下りる音)
ここまでフラッシュを焚いての写真を掲載していたので、周囲は明るく写っていてあまり雰囲気が出ていなかったと思ったので、ここからはフラッシュをOFFにした写真もいくつか混ぜていく。上の写真と見比べてみると一目瞭然だが炭鉱内は実はかなり真っ暗であり、フラッシュを焚かない実際の雰囲気はこんなにも暗いのである。
坑内の順路に従い進んでいき、最終的に徒歩で地上に出てきた。エレベータでかなり深い場所まで下りて行ったと思ったのだが、それ程地下まで行っていなかったのかもしれない。キャップライト一体型のヘルメットを所定の場所に返却した。
この石炭博物館内の史蹟夕張鉱は予想していたものよりもずっと面白いもので、今回来ることにしてホントに良かったと思った。札幌やその近郊の市町村に住んでいて、私のようにこの夕張に来たことがない人もいるだろうが、この石炭博物館は是非一度見ておいたほうが良いと思う。これほどの完成度の高い大掛かりな施設が私一人の客しか迎え入れていなかったという現実を見て、愕然としたのと同時にかなり寂しい気持ちになったものだ。実際に来場すると、きっと来て良かったと思う筈なのだ。
石炭の歴史村からキャンプ場へ行く遊歩道を通り、キャンプ場の自分のテントのところまで戻ってきた。
そして、すぐに風呂道具をリュック代わりのスタッフバッグに詰めて、自転車に跨り夕張駅前のホテルマウントレースイに併設のレースイの湯へ行くことにした。
写真はホテルマウントレースイ前からの撮影で、奥にマウントレースイスキー場の斜面が写っている。
そして、ホテルマウントレースイをバックにした写真を撮影。
今回の記事では沢山の写真を掲示したが、背景に人が写っている写真は皆無で、財政破綻した市という寂しい片鱗を覗かせているのが伝わったことだろう。キャンプ場は悪くなかった、石炭の歴史村は十分客を呼べる施設だろう、レースイの湯はそれ程大きな温泉ではなかったが悪くなかった、走り応えのある峠があるので自転車乗りを多く見かけたし、夕張メロンは有名だ。何度もくどいと思うかもしれないが、この記事を読んだ人で、まだ夕張に行ったことがない人がいたら是非一度行ってみて欲しいと再度お願いしたい。札幌に住む私も頑張れば自転車で日帰りだって出来る距離なので、是非また来ようと思う。とにかく皆で夕張市を盛り立てていこう。
最後に今回の走行マップを掲載する。
より大きな地図で 札幌~岩見沢~夕張~北広島~札幌 を表示
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